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今年の主役は「アクアタイマー」。IWCの伝説のダイバーズ・ウォッチ・コレクションに、新しいタイムピースが加わります。全モデルにIWCのエンジニアが開発したセーフダイブ・システムが搭載され、ダイビングの安全性と利便性が向上しています。IWCは今日まで50年間、水中での使用のために設計された時計る技術革新を牽引し続けています。

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小さな世界

世界は時間とともに動いています。IWCの「ポルトギーゼ・グランド・コンプリケーション」は、そのような時間をあらゆる尺度に集約したようなデザインで、控えめながらも美しく設計されたこのタイムピースの文字盤には、傾いた地球が彫り込まれています。

スコットランド出身の偉才

多くの病気に対する新しい治療法を発見するため、献身的に努力する優秀な研究者でもあり、勤務先のロシュ社のサッカーチームを数年にわたり指導する熱心なコーチでもある。工学的な美しさと機械式ムーブメントの精度に惹かれる時計愛好家の顔をも持つアンドリュー・トーマスは、多種多様な事柄に情熱を注いでいる。

第一章:ムーブメントとは?

時計が時を告げることは誰もが知るところですが、それだけではありません。IWCの機械式時計は芸術品であり、スタイルの表現であり、さらには技術的な感動でもあります。

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その距離、実に地球から月までの半分

メルセデスAMGペトロナス フォーミュラ・ワン™ チームにとって、フォーミュラ1(F1)グランプリへの参戦は、1万個ものパーツで構成される30トンに及ぶ資材と60名は下らない従業員を五大陸にまたがる世界各国のサーキットに送り込むことを意味しています。各目的地においてすべてが予定どおりに到着することを確実なものとしなければならないのは勿論のこと、そのために、システマティックであると同時に、臨機応変に状況に対処することも求められます。

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1955年にIWCシャフハウゼンが発表した「インヂュニア」は、旋風を巻き起こしました。その「インヂュニア」誕生の裏には、それよりも遥か昔1888年まで遡るストーリーがあったのです。

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C. G. ユング

分析心理学の創始者として後世に名を残すC. G. ユング(1875年~1961年)。この高名な心理学者の功績は誰もが知るところでしょうが、彼の結婚相手がシャフハウゼンに拠点をおく時計マニファクチュール、IWCの当時のオーナーの娘だったことや、それに伴い、IWCの共同経営者に就いていたことなどは、あまり知られていません。

テキスト — イリス・クーン=シュポガット 写真 — モーリス・ハース 日付 — 2011年8月19日

共有:
—裏蓋の下にはゴールド製の保護カバーが付いていて、“Fräulein Emma Rauschenbach de Dr. C. G. Jung, 16. Februar 1903(エマ・ラウシェンバッハ嬢へ
C. G. ユング医師 1903年2月16日)”の一文がエングレーヴィングされている

スイス北部の都市、ウスターの郊外に建つ一軒のアパートメント。その一階、4部屋を借り上げて開業している診療所。ここが一般開業医であるルドルフ・ニーフス医師の仕事場です。彼は御年70歳、何年も前に引退していてもおかしくない年齢ともいえますが、今も毎日、朝から晩まで元気に仕事をこなしています。 ニーフス医師にとって“医師”とは単なる職業ではなく、それは天職であり、充足感を与えてくれる活動だからです。彼が医学の道を志したのは祖父の影響が色濃く反映しています。彼の祖父――すなわちカール・グスタフ・ユングの影響です。しかし、この話はまた後で述べることにしましょう。

ルドルフ・ニーフス医師に招かれて、私は彼の診療所を訪ねました。そこで他では決して目にすることのできないIWCのタイムピースを披露されたのです。それは著名な心理学者であり分析心理学の創始者であるC.G.ユングが、婚約の証として将来の伴侶となる女性、エマ・ラウシェンバッハに捧げた贈り物でした。「ユングにとってエマは最愛の女性でした。」回転式の事務椅子をファイリング・キャビネットに向けると、一番上の引き出しから黒いジュエリーケースを取り出しながら、ニーフス医師はそうつぶやきました。それから、デスクに向き直ると、ジュエリーケースの蓋をそっと開け、中からおもむろに一個の懐中時計を取り出しました。しばしの間、懐中時計から伸びる金の鎖を左手で軽く揺らしながら、思い出に耽るようなそぶりを見せたものの、すぐさま誇りに満ちた表情で彼はこう言ったのです。「これがそのタイムピースです。」

婚約を記念するこの贈り物は、ことによるとエマ・ラウシェンバッハをさほど驚かせなかったかもしれません。なにしろ、エマはIWCの当時のオーナー、ヨハネス・ラウシェンバッハの愛娘だったからです。とはいえ、それでもこの時計が他と一線を画す存在であり、唯一無二であることに変わりはありません。1フラン硬貨よりわずかに大きく、クッションのように丸みを帯びて、すべてゴールドに輝いています。一見しただけでは、メダルかと思うかもしれません。ガラスをはめ込んだダイヤルはそのままでは何ひとつ視認することができません。EとRの2文字を精巧に刻み、小さなルビーとダイヤモンドで華麗に彩ったゴールド製の“跳ね蓋”の下に隠れているからです。ニーフス医師がボタンに触れると、跳ね蓋がパッと開きました。彼は露わになったダイヤルと手首に巻いた「ポルトギーゼ」との時刻を見比べて「正確ですね」と満足げにつぶやきました。続いて、裏蓋を外して中のムーブメントを見せてくれようとしましたが、どうもなかなかうまく外れてくれません。「久しぶりに金庫から取り出したもので…。でもちょっとしたコツがあるのです」と彼。

この時計は何というモデルなのか? どのくらいの価値があるものなのか?「分かりません」とルドルフ・ニーフス医師は言います。「この時計のことは、ほとんど何も知らないのです。私の母はこの時計を身につけていました。それから私の妻も。」そう言った瞬間、不意にコツを取り戻したのか、裏蓋が見事に外れました。裏蓋の下にはゴールド製の保護カバーが付いていて、そこには“Fräulein Emma Rauschenbach de Dr. C. G. Jung, 16. Februar 1903(エマ・ラウシェンバッハ嬢へ C. G. ユング医師 1903年2月16日)”の一文が刻まれていました。その他の文字や記号(“300000, 18 carat, 750, JWC”)はルーペを使ってようやく読み取れる大きさです。ほかにも、二つの手が互いに触れあう図案が刻み込まれていました。「この画は婚約の象徴ですね。」そう言うとニーフス医師は、ムーブメントを覆っているゴールドの保護カバーを外しました。それから、チクタクと時を刻むムーブメントを前に、笑顔を浮かべながらこう言ったのです。「見てください。こうして100年以上も休まずに動き続けているのです。」

ニーフス医師が時計の専門家どころか、コレクターですらないことはすぐに分かりました。しかしながら、彼はこの時計に心底、愛着を覚えています。いつも金庫に入れて大事に保管しているし、いつの日か娘か息子に譲りたいとも考えています。すでに成人している2人の子供のうち、最終的にどちらに譲るかは彼にとってさしたる問題ではありません。大事なことはひとつだけ。「決して売り払うことなく、いつまでも家宝として受け継いでいくこと」です。彼にとって貴重なのは、時計そのものではなく、この時計が象徴するもの、つまり“一目惚れから始まった永遠の愛”なのです。

—C. G. ユングの孫、ルドルフ・ニーフス医師(左)と
その息子マティアス

「祖父C.G.ユングのもとを訪ねるとき、
私たちはいつも彼の言いなりになりました。
私たちの誰もが言われるまま
彼の指示に従ったのです」

—ルドルフ・ニーフス

共有:
—エマ・ラウシェンバッハと夫のC. G. ユングは、
IWCシャフハウゼンの共同経営者だった

一目惚れから始まった永遠の愛――恋物語はこんなお話です。そのときユングは21歳の医学生でした。ある日、彼はシャフハウゼンの知人宅を訪問します。母親から彼女の古い顔見知りであるラウシェンバッハ家を訪ねるように言われていたからでした。ラウシェンバッハ家を訪ねた彼は、廊下から階段の上にたたずむ当時15歳のエマの姿を目にします。その瞬間、彼は言葉を失いました。ニーフス医師は言います。「後に友人に対して祖父はこう打ち明けたそうです。“あの女の子はいつか自分の妻になる”と。」

ニーフス医師がこの運命的な出逢いを知ることができたのは、ひとえに刊行されているユング回顧録のおかげです。祖父としてのユングがこの話を直接口にしたことは、かつて一度もなかったといいます。その後、二人の関係がどう発展したかについても、祖父の口から語られたことはありません。運命的な出逢いの後、二人はどうなったのか? 6年後、ユングはシャフハウゼンを再訪し、エマ・ラウシェンバッハにプロポーズしています。当時のユングはすでに医師免許を持ち、れっきとしたドクターとしてチューリッヒ大学付属病院に勤務していました。エマは最初のプロポーズを断ったものの、2度目の求婚を受け入れ、1903年、21歳のエマ・ラウシェンバッハは、めでたくエマ・ユングとなりました。裕福な家庭で育ちながらも、エマは実質的な教育を受けたことがありませんでした。しかし、主婦となり、5人の子供の母となり、そしてC.G.ユングの妻となってから、教育の遅れを取り戻す機会に恵まれました。

「私は言葉を失った。ほんの一瞬、彼女の
姿を目にしただけだったが、私はすぐに、
この少女が私の妻になると確信した」

—C. G. ユング

彼女は数学を手始めに、ラテン語やギリシャ語を学び、夫の仕事にも当初から関心を抱いていました。やがてユングの研究に参加することとなり、何年にもわたってユングの分析を受けることになります。間もなく、みずからの努力で精神分析医の資格まで取得、1930年からは、もはやユングの傍に寄り添う女性ではなく、プロフェッショナルな同僚という立場になりました。

そんなエマ・ユングについて、伝記作家のアニエラ・ジャッフェは次のように述べています。「彼女は自分に正直であると同時に、生涯を通じて夫に忠実であり、彼のライフワークにも深い理解を示していました。それゆえに、彼女はこれ以上ないほど豊かで満たされた人生を送ることができたのです。」1905年からIWCの共同経営者となったユング夫妻は経済的にも苦労することなく、幸運に恵まれたまま一生を終えるはずでした。ところが、エマの幸せに大きな影を落とす出来事が起こります。夫の不貞です。5人目の子供が誕生して間もなく、C.G.ユングは彼の若い患者、アントニア・“トニ”・ウルフと関係を持つようになります。この不貞はその後40年あまりも続き、エマを三角関係に巻き込むこととなりました。しかし、離婚を選択する代わりに、エマは夫を「我が家の基礎」と見なすことで彼の傍にとどまります。取り乱すこともなく、彼女はその並外れた知性を以て、ジークムント・フロイトを筆頭にする精神分析学の先駆者たちの仕事――ときに女性蔑視が露わな彼らの仕事に、女性ならではの視点に立ったアプローチを導入しました。エマ・ユングの唯一の著書『内なる異性―アニムスとアニマ』には、彼女の考察が綴られています。

とはいえ、すべては遠い過去の出来事です。1955年にはエマ・ユングが、次いで1961年にはC.G.ユングが他界しました。しかし、どんなに時が隔てようと、ルドルフ・ニーフス医師にとって祖父母の記憶は今もなお鮮明なのです。「祖母はとてもエレガントな女性でした。とても控えめで、とても内気。いつも綺麗に髪を結っていました。」ニーフス医師は続けます。「私たち家族の誰かが体調を崩すと、祖母はそのたびに往診に来てくれたものです。」一方、祖父に対しては親密さというより、いささか距離を置くような関係だったといいます。ニーフス医師はC.G.ユングを一家の長として、周囲の誰よりも知性に優れていた男として記憶しています。物語を聞かせてくれたり、ゲームの相手をしてくれたりするような祖父ではありませんでしたが、まぎれもなく尊敬に値する人物であり、同時にほんの少し恐れを感じさせる存在でもありました。「祖父のもとを訪ねるとき、私たちはいつも彼の言いなりになりました」とニーフス医師は言います。「私たちの誰もが言われるまま、彼の指示に従ったのです。」

こうした祖父との関係は、確かに負担ではあったけれど、ときには恩恵をもたらすこともあったとニーフス医師は言います。「私に医学を学べと勧めたのは、他ならぬ祖父ユングでした。」建築家の息子だったニーフスは、建築にすべきか医学にすべきか進路に迷い、決断しきれずにいました。なぜ、結局、医師となる道を選んだのか?そこにいたる経緯を彼は次のように説明してくれました。「軍での訓練を終えた後、祖父の友人に招待されて、夢分析のセッションに出席したのです。夢分析は3つの夢に関するものでした。」1番目の夢は、蝋燭を手にした祖父の後について、書斎を目指して階段をのぼっていくという内容。2番目の夢は、祖父から黄金の小箱を手渡されるという内容。3番目の夢は、祖父の家の前に広がるチューリッヒ湖から巨大な鯉を釣り上げるという内容。ニーフス医師は、祖父の知人である教授の解釈が次のようだったと記憶しています。「もし、私が祖父=灯に従えば、巨大な鯉が象徴するような自分に相応しい道を見出すに違いない。」かくして、若き日のニーフスは、かつてC.G.ユングがそうしたように、バーゼルで医学を学んだのです。彼はこの決断を一度たりとも後悔していません。それどころか、決断が正しかったことを毎日のように噛み締めているのです。

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