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本物への冒険
配送について
IWCとクラフツマンシップの精神を分かち合うジョシュ・サーリン。ここでは、彼がデニムの堅牢性と洗練さの完璧な融合をどこで見つけたのかを語ります。ブラックベア・ブランドの物語をご覧ください。
1868年、アメリカの時計師フロレンタイン・アリオスト・ジョーンズがIWCを設立したとき、彼の目標は、何世代にも渡る使用に耐える「最高の時計」を作ることだった。今日のIWCの時計職人たちは、創業者ジョーンズのこの情熱、精神を受け継いで、時計の精度、精度、信頼性、耐久性を絶え間なく追求してきた。それと同時に、彼らは機械式時計のメカニズムとデザインの向上にもこだわり続けている。そして、米国のアパレルの世界にも、IWCの時計に通じる「頑丈でありながら洗練された」スタイル、精神を追求し続ける「ブラックベア」というブランドがある。
ブラックベア・ブランドとは
創業者のジョージ・G・ブラックは今から100年以上前、5人の縫製のプロフェッショナル、そしと5台のミシンとともに、ワシントン州シアトルにこのブランドを設立した。そして男性のためのオーバーコートからウール・ジャケット、パンツ、ジーンズ、デニム・オーバーオール、その他当時人気のあったワークウェアに至るまで、上質な服作りに取り組んだ。
彼らの立ち上げたブランドはジャンルを超越したスタイルを持ち、ピュアな品質と機能性、比類なき耐久性によって本物志向の男性たちから愛され、熱狂的な支持を集めた。しかし、アパレルの世界で質より量を優先した大量生産による安価なファッションが主流になると、このトレンドに屈することを潔しとせず、自らその歴史に幕を下ろしたのだった。
— かつてのブラックベア・ブランドの広告。ワークウェアからドレッシーなスーツまで、ブラックベア・ブランドの歴史とその本質は「上質さの飽くなき追求」から成り立っていた。
私はかつてのブラックベアの製品の、スタイル、ディテールの構造、素材の品質に惚れ込みました。そして、当時そのままの魅力でこのブランドを甦らせることを決意したのです。
— ブラックベア・ブランド復活のため、シアトルを拠点とした「ブラック・マニュファクチャリングカンパニー」設立したジョシュ・サーリン
ジョシュ・サーリンとの邂逅
それから数十年後、ひとりの男が偶然、1912年に製造された「ブラックベア」ブランドの希少なアイテム、デニム地のカバーオールと出会った。男の名はジョシュ・サーリン。シアトルを拠点にファッションと歴史を愛するデザイナー、冒険家、起業家であるサーリンは、失われたこのブランドの復活を夢見た。「私はブラックベアのスタイル、ディテール、素材の品質に惚れ込んで、このブランドを現代に甦らせたいという考えに取り憑かれたのです」
ブラックベアというブランドが、創業の地であるシアトルに代表されるアメリカの太平洋北西地域の歴史と文化をルーツに生まれたものであることは間違いない。だが、いったいどこでどのように作られたものなのか、そのディテールの多くはすでに失われて謎となっていた。「私はこのブランドのヴィンテージ・アイテムの中に、無骨さと洗練が融合した独特の輝き。そこから生まれた卓越性、そして比類なき本物感を感じました。この時からです。ブラックベア・ブランドを復活させるという私の『壮大な冒険』が始まったのは」
人生の旅と冒険
「いつも腕には、ビッグ・パイロット・ウォッチ Ref.IW501001.」
「私の人生は冒険であり、経験の旅です。そしてブラックベア・ブランドの復活という冒険、新しい旅は、私の人生の新たなステージとなりました。旅は私の創作意欲を掻き立て、創造性を引き出してくれる永遠の女神なのです。世界最高の職人たちとの出会い、生地や製造技術を探求するというこの旅は『世界最高の本物を作る』という私の夢と、この夢の実現に不可欠な創造性を引き出し、私が何者であるかを教えてくれました。そして私の人生はブラックベア・ブランドそのものになったのです」
— 綿織物と藍染めによるデニム生地の生まれ故郷、岡山県の倉敷を歩く、ブラックベア・ブランドのクリエイティブ・ディレクター
デニムに対する日本人の“献身”は比類のないもの。そして、岡山県の小さな町・倉敷はあらゆる意味で“デニムの聖地”といえる場所です。 綿花からの糸づくり。そのインディゴ染料によるロープ染め。さらにその綾織りによるデニム生地作り。そしてその生地を使ったジンズの縫製と仕上げ加工。ここは地球上でデニムにとって最高の場所です!
日本への道
ブラック・ベア・ブランドを復活させるという彼の夢を実現する鍵は、今や世界の多くの場所で失われてしまった卓越した職人技を持つ一流の職人たちと仕事をすることだった。バイクに乗って、世界中を旅して、デニムの世界を探求するうちに、サーリンは最終的に日本にたどり着いた。そして、日本の卓越した職人技を受け継ぐ多くの素晴らしい職人たちと交流を深めた。
「私はいつも日本の文化に惹かれてきました。日本には一生を捧げて自身の技術を磨く、飽くことなく最高の高みを目指し続ける純粋な職人がたくさん居ます。私は彼らの哲学に惚れ込みました。この日本の職人たちの持つモノ作りの哲学と卓越した技で、無骨さと洗練さのスタイルを融合させたデザインを作ること。私が人生で何よりも望んでいたことでした」
日本人は世界の誰よりもデニム作りが上手で、日本で最初に好きになった生地/テキスタイルはデニムだとジョシュは語る。思い通りのデニムを作るという彼の夢は、デニムにとって地球上で最高の場所、デニムのメッカである岡山県の小さな町・倉敷でついに実現可能となったのだ。
— ブラック・セラミック製ケースを備えた「ビッグ・パイロット・ウォッチ 43 トップガン IW329801」を着用するジョシュ・サーリン
デニムの聖地・倉敷
岡山県倉敷市では17世紀から、地元で栽培された木綿を使った織物が盛んだった。そして1960年代初頭、伝統技術を受け継いだ地元の職人たちが、藍染め、織り、縫製を経てデニムのジーンズを作り始めた。彼らはアメリカから輸入されたデニム生地の平凡な風合いに飽き足らず、まず、最高のデニム生地づくりに挑戦した。そしてここから彼らの、世界最高のジーンズを作る旅が始まったのだ。
そして1973年、日本で初めてデニム生地が国産化された。さらに1980年代に入ると、倉敷で作られるジーンズは、織物の準備からデザイン、縫製に至るまで、その綿密な工程で世界的に知られるようになった。現在、倉敷は「ジーンズの聖地」として世界にその名を轟かせている。
「本当に“心から欲しいもの”を作る。これがブラックベア・ブランドのモノづくりのポリシーです。そして私は、ブラックベア・ブランドのジーンズを作る場所、私の“デニムへの夢”を叶える場所をついに見つけることができました。倉敷の職人たちは、私、そしてブラックベア・ブランドにとってなくてはならない存在です。そして、私のデザインと冒険へのエキサイティングな旅、“私が夢見るものを実現する旅”は、まだ始まったばかりなのです。」
— グリーンのラバーストラップ付「ビッグ・パイロット・ウォッチ 43 (Ref. IW329301)を着用したジョシュ・サーリン
— 元々綿花栽培や綿糸製造をしていたこの街は、やがて糸染めや生地織り、縫製で繁栄していった。
— 染色前の綿糸のロールの前に立つジョシュ・サーリン
— インディゴ染め工程を経た後の綿糸
エピローグ
デニムの夢とインディゴの香りが漂う夜の渦巻く霧の中で、“日本の職人技の真髄”へのサーリンの壮大な旅、冒険は始まった。織機が奏でる、古代の賛美歌のような機織りの音。そして、一針一針に伝統の糸を織り込む、職人たちの荒々しい手の動き。気がつくと、岡山の人々の魂から生まれた「デニム作り」というダンスの魅力に取り憑かれていたとサーリンは語る。
「静かな岡山の地に立つと、頭の中に感謝の気持ちが溢れてきて、身の引き締まる思いです。 ブラックベア・ブランドにとって、ジーンズは単なるひとつの到達点ではなくて、日本が私に与えてくれた“無限の美しさを追求し続ける”という美学を体現する誓いのアイテム、この約束を体現したアイテムでもあります。 このジーンズの一針一針に、デニム作りというダンスが、私の時間と情熱が織り込まれているのです。そしてこのジーンズを履くことで、そのどちらもが、永遠にあなたのものになるのです」
創り出されるデニムは単なる製品ではない。それは芸術性への忠誠を定義する我々の宣言なのだ。倉敷のデニム職人達の熱い情熱と最高の技術に、深い敬意と感謝を込めて ―ジョシュ・サーリン
IWC のビッグ パイロット ウォッチをいつも腕に“本物への旅”を続けるジョシュ・サーリン。この時計は彼にとっては特別な存在だ。時刻を知る道具であると共に、過去の冒険と時間がどれほど貴重であるかを思い出させてくれる、と彼は語る。
「世界に私の途方もない夢を叶えてくれる場所があること。叶えてくれる人がいること。そして、その場所と人を見つけるために時間を無駄にしてはいけないということを、この時計は、いつも教えてくれます。私にとって、かけがえのない相棒なのです」